人生にハリがない

ラ・ラ・ランド リベンジ

突然ですが、みなさんは『ラ・ラ・ランド』という映画をご存じですか?いやまあ今さら「ご存じですか?」とか聞くなんて野暮だろう、というくらい有名な作品ですが。とりあえずご紹介させていただくと、2016年に公開されたミュージカル映画で、監督は『セッション』のデイミアン・チャゼル、主演はライアン・ゴズリングエマ・ストーンです。アカデミー賞に13部門ノミネート、6部門受賞をはじめとして、ゴールデングローブ賞ヴェネツィア国際映画祭など多数の映画祭でも高い評価を受けた大傑作であります。アカデミー作品賞での『ムーンライト』との発表間違いでも話題を呼びましたね。日本でも大変好評でTwitter等でも話題になったこの作品、僕にとっては恋愛もののミュージカルという完全に守備範囲外でありましたが、やはりこんな話題作放ってはおけぬと勇んで観に行きました。ですが、残念ながら僕にはいまいち刺さらぬ結果となってしまったのです。わりとショックでした。


観賞直後の感想ツイート


それからというもの、ずっともやもやとした気持ちを抱えてきたわけです。だってつまらなくなかったですよ。画作り、演出、出演者の演技、もちろん楽曲も素晴らしい。普通に楽しんで観られた部分はたくさんあります。どうもボタンの掛け違いというか歩調が合わなかったというか、そういう微妙なリズムの違いのようなもので、心から楽しむことができなかったのかなという感じがするのです。そこで、今回は『ラ・ラ・ランド』のなにが引っかからなかったのか、振り返ってみようかなと思います。

1.出端をくじかれた

なぜ『ラ・ラ・ランド』にいまいち乗れなかったか?という趣旨なのにいきなり作品とは関係のないことを書くのバカっぽいのですが、しかし本当のことだからしょうがない。白状しますと、そもそも鑑賞前から精神状態をかき乱される出来事がありました。意志薄弱で未成熟な心を持った僕は、ちょっとショックなことがあるとそれだけで映画を楽しめなくなってしまうのです。勝手にそっちで傷付いていまいち乗れなかったとか言われる『ラ・ラ・ランド』にとっては、たまったもんじゃないと思いますが…。


僕が観た回は確か、土曜日の夕方頃だったと思います。公開されてからまだ10日程しか経っていなかったし、かなりの話題作でしたので、座席も結構埋まっていました。やっぱりというか、案の定カップルや若い女性同士がかなり多くて、男一人というのは殆どいなかったように思います。僕は映画を観るときはいつも真ん中少し後方の席を買うようにしていて、このときもちょうど真ん中の席が取れたので、上映開始10分ほど前には無事に着席。右隣はカップルが、左隣には若い女性の二人組が座っていました。着席すると、なんだか左の女性がチラチラとこちらを見てくるような気配を感じて少し居心地が悪かったのですが、なんとその女性、左隣に座っていたお友達らしき方がトイレか何かで席を立った瞬間に、座席をそのお友達が座っていた隣席に移したのです。つまり、わざわざ僕から一席離して座りなおしたのです。これはね、さすがに堪えましたよ。外出する際には必ず風呂に入って清潔にしていたつもりだし、綺麗に洗濯した服を着ていたし、独り言とか貧乏ゆすりとかしてなかったはずだし、不快感を与える要素はできる限り排していたつもりだったのですが…。というか友達が気の毒でしょ。戻ってきてからアレ?って感じだったし。あんたせめて友達に一言断り入れるとかできなかったんかい。気持ち悪い奴の隣に座りたくないって、僕に聞こえてもいいからさ。義理は通せよ。


もうそれが本当にショックで、僕はまだ存在で他人を不快にさせてるんだなと、ズーンと沈んだ気持ちになってしまった。もう映画観るメンタリティじゃなくなってましたよ。だから映画冒頭でいきなりかまされる「Another Day of Sun」、あれすごいワクワクするシークエンスだと思うんですけど、もうその時点で無の表情してました。全然『ラ・ラ・ランド』のせいじゃないけど。

2.変な勘違いをしていた

これも作品自体の責任じゃない気がする。いや、でも勘違いしたのは作品の描写のせいなんだから、やっぱり『ラ・ラ・ランド』が悪いよ。うん。多分。僕の理解力も低いけど…。


あのですね、この作品を僕はずっと、ファンタジーだと思って観てたんですよ。本当に終盤まで。お恥ずかしい話なんですが、これは救いようがないほど馬鹿な話なので、ここで白状させていただきたい。僕はこの作品を、違う時代に生きている男女の恋愛だと思って観てたんです。現代に生きるミアと80年代あたりを生きるセブが、ひょんなことから時代を超えて知り合っちゃった、みたいな。そういうファンタジーだと勘違いしていたんです。なんでそんな間抜けな勘違いしてしまったのかというと、めちゃくちゃ恥ずかしい話なんですが、セブの懐古趣味的な部分を深読みしすぎてしまったからなんですね。セブの野郎、古臭いオープンカー乗ってたじゃないですか。なんか服装もレトロだし、あとスマホを使ってる描写が終盤までなかったですよね確か。このスマホを使わなかったってのが決定的で、もう完全に勘違いしてしまった。ただでさえミュージカル映画というものの文法が分からなかったので、どこからが映画的なファンタジーで、どこからが現実的な描写なのかさっぱりだったんですよね。変に深読みしすぎてしまった。だから、もうこのファンタジー展開どうやって決着させるんだ!?みたいなドキドキがありましたよ。おそらくあの劇場内で僕だけでしょうね、あんなことを考えてた馬鹿は。そして終盤、ミアが配役ディレクターの目に留まり、オーディションの誘いの電話をセブが"自分の携帯"で受け取ったとき、僕は完全にえ?となったわけです。モンスターパニックものの漫画とかで、次のコマで無残に引き裂かれる、モブの驚き顔みたいな表情してたと思います。

3.そもそもテーマにしているものに何一つ縁がない

この文章書いてて気づいたんですけどね、これ『ラ・ラ・ランド』なにも悪くねえわ!うん、なにも悪くないですよ。僕が合わなかっただけだなこれは。でもここまで来たから書きますよ。


僕が読み取った『ラ・ラ・ランド』がテーマにしてるもの、正確に読み取れてるかは置いてといて、少なくとも僕は「恋を取るか夢を取るか」だと思ってるんですよね。まあそうでなくても、恋することや、夢を持ってそれを追いかけることが事細かく描かれてるわけじゃないですか。僕はね、恋人がいたことがなければ、夢を追いかけたこともないんですよ。打ち込んだこととかなにもない。このブログで散々書いてると思いますけど、もう本当にオナニーくらいしかないわけです。なにも分からない。全然響かない。もう対岸の火事って感じです。なにをそんなに泣いたり笑ったりしてるんだ君たちは、とか思ったりもした。感情のないAIが人の心に触れたときみたいな反応してしまったよ。とにかく他人事というか、なにも刺さらなかった。まあ当たり前だよね。別れた元恋人と再会するなんて、多分僕は死ぬまで経験しないでしょうしね。


ここまで書いて思ったのは、『ラ・ラ・ランド』に関しては、事故のようなものだったんだなということです。映画の趣旨とことごとくすれ違い、謎の思い込みで終盤まで勘違い、おまけに観賞前に勝手に傷ついて落ち込む。玉突き事故のように不幸が重なった結果ですね。そもそも、今回改めて映画を観直して、やっぱり面白いところたくさんありましたよ。特に僕が好きなのは、序盤に出てくる「Someone in the Crowd」のシークエンス。ミアがルームメイトたちとパーティにくり出すところですね。夜の路上で4色のパーティドレスを着た女性が踊る様は、観ていて気持ちがいいですよ。コネを作って成り上がってやるという野心や夢を追う女性の強かさが、ゴキゲンな曲に合ってますよね。LAの煌びやかな夜が美しく愉快に表現されていました。



"Someone In The Crowd" La La Land (2016 Official Movie Clip)


本当に悲しいボタンの掛け違いでこんなことになってしまいましたけど、良い映画だったんだと思います。人には向き不向きというものがありますから、これはしょうがないことですよ。あれからミュージカル映画もいくつか観て、なんとなく触れ合い方、楽しみ方も分かってきたつもりです。それでもやっぱり、恋愛と夢を追う部分は(つまりこの作品の重要な部分は)あんまり分からなかった。美しい感情だなとは思うのですが。残念だけどこれからも分かることはないんじゃないかな。人間、自分に縁のないものを理解するのは難しいですからね。いや、ドンパチとか暴力に縁があるわけではないですけど…。でもとりあえず、『ラ・ラ・ランド』に対して抱いていたモヤモヤは、この文章を書いて整理することができたかな、と思います。特に勘違いして観てたっていう失敗体験を抱えたままでいるのは我慢ならなかったので、再観賞できてよかった。いやほんと、Netflix様様ですね。入っててよかったNetflix


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