人生にハリがない

『ブロンソン』 我が心のタイラー・ダーデンよ。

Netflixに『ブロンソン』が配信されていることを知ったのは、今年の一月末のことでした。僕はトム・ハーディがハリウッド俳優の中でも特に好きで、彼が己の一物を無修正でさらしているというその怪作を前々からぜひ観たいと思っていたので、配信を知ったその日のうちにさっそく観賞したのを覚えています。


ブロンソン』は、かのニコラス・ウィンディング・レフン監督の作品であります。暴力事件を起こして捕まり、刑務所内でも暴力をふるって刑期を延長されまくり、挙句の果てには「もう手に負えない」と釈放され、釈放されても再逮捕されまた刑務所に逆戻りという漫画みたいな経歴を持った、「英国でもっとも悪名高い囚人」と呼ばれている実在であり存命の人物、マイケル・ゴードン・ピーターソンa.k.a.チャールズ・ブロンソンが主人公です。いわゆる実録犯罪ものであり、アカデミー賞にもノミネートされレフン監督の名を世に知らしめた『ドライブ』や、難解な内容と凄惨な暴力描写で賛否両論を巻き起こした『オンリー・ゴッド』などよりも以前に制作されました。僕は知的レベルが小4からまったく成長していないタイプのアダルトチルドレンなので、どうにもレフン監督の小難しく抽象的な描写が多い作風には馴染めず、『ブロンソン』が同監督の作品だと知った時には、内容についていけるかという恐怖を抱きました。なんかよく分からんビームを撃ったり、ド派手に爆発したり、かっこいいメカがガッシャンガッシャン動いたりしてはじめて面白いと感じる僕のような人間には、レフン監督のポエジーな感覚は、いささかハイレベルすぎるのです。案の定今作も、全編に渡り主人公のチャールズがどこかの劇場の舞台に立ちスクリーンの向こう側にいる観客に向かって独白するという、メタっぽい感じで進行していきます。この構成に加え、クラシックやテクノが入り乱れる劇伴、なんとも言えない間の取り方、そしてなによりトム・ハーディの怪演によって尖りに尖りまくった今作は、もはやただの実録犯罪映画という枠には収まらない作品になりました。ですがそれはとても幸せなことに、僕の心にガッチリと噛みあってくれたのです。


チャールズは、一言で言えば「愚か者」です。彼はとにかく有名になりたかった。しかし歌や演技の才能がなかった。そのため暴力や犯罪行為に走ります。行き当たりばったりで破滅的な暴力を警察に捕まるまで、そして捕まっても繰り返すのです。しかし、芸事の才能がないから人を殴るなんてのはそもそもバカな話で、才能がないなら努力をすればいいだけです。芸事をしている全ての人がそうしている。しかし彼はそれをしない。おそらく、才能がないなんてのは言い訳なのでしょう。というかおそらくまともに歌や芝居を志したことないですよ。とにかく人を殴りたくてしょうがない。だから殴る。まどろっこしい努力なんてしなくても、闘争心と両腕の握りこぶしさえあれば、「暴力」という最高の自己表現ができる。言ってみれば、彼には暴力の才能があったのです。何のためらいもなく人を殴りつけられる心を持てるという才能が。その才能をフル回転させて、暴れまくるのです。それはもう本当に「大暴れ」という言葉がぴったりと当てはまるほど、暴れに暴れまくります。この作品、一時間半ほどしかないのですが、そのうちの半分くらいはチャールズによる何かしらの暴力行為がおこなわれているのではないかという印象すら抱くほど、とにかく暴れるのです。そして意味がない。作中において繰り返し振るわれる暴力に、なんの意味も理由もないのです。


象徴的なシーンがあります。作品中盤、「手に負えない」と釈放されてから僅か69日で強盗を働き再び逮捕され(この間に地下ボクシングでのリングネームとしてチャールズ・ブロンソンを名乗るようになります)刑務所に収監されたチャールズは、自分の独房へ本を持ってきた司書を人質に取り立てこもります。その後の刑務官たちの反応を見るにどうやら立てこもりは常習化しているようで、刑務所長が落ち着いた雰囲気で内線電話をかけると、チャールズはこれに対し「要求を呑まなければ人質を殺す」と脅迫します。しかし、所長が素直に要求の内容を聞いてくると、なんとマイケルはこれは予想外だといった風に沈黙し、挙句の果てには「何をしてくれる?」と聞き返すのです。なんと恐ろしい男なのか。つまり、要求などなにもないのです。もちろん司書を殺すつもりも毛頭ないのでしょう。事実、司書に対しては恫喝するくらいでろくに危害を加えず、あまつさえ制圧しにくる刑務官たちを迎え撃つ直前に「危険だからじっとしていろ」と声をかけるほどです。とにかく問題を起こして、なんらかの暴力を振るいたかった。絶対に勝てないと分かっていても。最終的には自分が手酷く打ちのめされ、負けると分かっていても。また、クライマックスでは、チャールズの絵画の才能を高く評価する刑務所内の美術教師を人質に取って、刑務所の美術室に立てこもりをおこないます。そう、また例のごとく、なんの内容もない、ただ乱闘を起こすためだけの立てこもりです。今度は前回のあまりの無計画っぷりを反省したのか、美術教師を柱に縛り付けて顔にペイントを施しリンゴを咥えさせ帽子を被せてじっと見つめてニンマリとするという、なんとなく意味ありげな行動をとりますが、しかし数秒眺めた後はあっさりと解放し、嬉々とした様子で制圧しにくる刑務官たちに殴りかかるのです。


あまりにも無意味で無計画で無節操な暴力を振り回し続けるチャールズは、しかしなんというか、僕にはとても眩しく映ってしまいます。社会秩序や国家権力に己の身一つで噛みつく彼の姿は、たとえ常に最後は叩き潰されてしまうとしても胸のすく思いがしますし、特に僕は力で抑圧されてきて、しかもその抑圧を甘んじて受け入れてきてしまった人間なので、やっぱりその筋金入りの反骨心には憧れる。


チャールズのセリフで特に好きな言葉があります。先述の立てこもりの際、満足して刑務官たちに美術教師を連れていくよう告げたチャールズは、向かってくる刑務官たちを待ちかまえながら傍らの美術教師に向かって一言「俺は屈しない」とささやくように言うのです。この一言は、映画だけでなく、今まで触れてきた創作物の中でもトップクラスで好きなセリフです。本当にさりげなく発せられる一言なんですが、ありとあらゆるものに屈して生きてきた僕にとってはこれ以上ないくらいに突き刺さる言葉なんですよ。生涯にわたってあらゆるものに歯向かい、戦い続けてきた男の口からは、こんな言葉が息をするように飛び出てくるのかと、心の底から感動したのです。


僕は小中学校でいじめを受けていまして、それだけならまだ良かったのですが、家庭内では父から言葉と体でガッツンガッツンとやられていました。学校ではひたすらバカにされたりどつかれたり無視されたり物を隠されたりして、家に帰ると父から知恵遅れだのゴミだの言われボコボコにされ、冬にはベランダに締め出されたり真夜中に叩き起こされて朝まで正座させられたりしていて、まあとにかく逃げ場がなかった。いじめられっ子は休日になるとようやくホッとできる、なんて話を聞きますが、僕の場合は父と接する時間が増えるということなので、地獄以外のなにものでもなかった。学校も地獄でしたが。ともかく、そういった少年時代を過ごしてきたからなのか、強者に屈さずに戦い続ける存在に憧れるようになったわけです。『ブロンソン』のチャールズはそんな僕の目に、まさに「こうありたかった存在」のように映ったのです。彼のレベルまでいくのはやり過ぎだとしても、その反骨心の1/10でもあれば、もっと健やかな気持ちで生きていけるのではないかなと思ったのです。


もっと勇気があれば、と思うことがたくさんありました。こいつらに歯向かう勇気があればと。一発でいいから殴り返せればと何度思ったことか。怒りや闘争心に身を委ねて、なにもかも分からなくなるまで暴れまくりたいと何度思ったことか。自分を抑圧する奴らに反抗したいと何度も何度も思いました。でもできませんでした。根性がなかったんです。物心ついたときから殴られ怒鳴られることが当たり前だったんです。太ってることをバカにされても、構音障害で上手くできなかった「し」や「ち」の発音をふざけて真似されたりしても、何も言えませんでした。歳を取って社会に出ても、理不尽や悪意に立ち向かう気概が備わることはありませんでした。こうしてできない理由を重ねているような体たらくですから当たり前ですがね。そんな僕に「俺は屈しない」の一言がどれだけ響いたことか。気に食わないからぶん殴る。従いたくないから歯向かう。ただそれだけを人生をかけて実行することのなんとかっこいいことか。自分に正直に生きてるんですよね。何度も何度も死ぬほどボコボコにされても、絶対に屈しないんですよ。心が折れない。殴りたいから殴るという自分の心に素直に従って生きている。彼が犯罪者だからおかしく見えるだけで、これをいくらかマイルドにすれば、自己啓発本とかに書かれているような生き方みたいになるんじゃないですか。誰もが理想とするような生き方になるんじゃないですか。


とにかく、僕は一発でこの映画とチャールズ・ブロンソンのファンになってしまった。魅せられてしまったのです。僕は『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンが「憧れの存在」というものの象徴みたいになってしまっているので、観賞後思わずツイートしてしまったほどです。

これね。


これは非常に個人的な考えなのですが、人は誰でも憧れの存在、つまり心のタイラー・ダーデンを持っていると思うのです。僕には『ブロンソン』の主人公がそれに該当します。どんな相手であっても、気に食わないからぶん殴るのスタンスを崩さない。とにかく沸き起こる闘争心に身を委ねて暴れまくる。やりたいようにやって、どれほど痛めつけられても絶対に屈しない。それが僕の心のタイラー・ダーデンマイケル・ゴードン・ピーターソンa.k.a.チャールズ・ブロンソン。かっこいい。シビれる。最高。もっとやれ。こんな風に生きていくことはできないけど(犯罪者だしね)、こんな風に生きていきたいという気持ちは大事にしたい。キミにはそんな気持ちにさせてくれる存在はいるか?キミの心にはタイラー・ダーデンがいるか?もしいなければ、キミも心にタイラー・ダーデンを持ちたまえ。楽しいぞ。そして気に食わない奴をぶん殴れ!暴れまくれ!止まるな、ためらうな!自分だけの帝国を築け!包茎でも恥ずかしがらずにフルチンになれ!包茎でも堂々としていろ!そして無意味に人質を取って立てこもれ!たとえ負けても、制圧されても、心だけは決して折れるな!諦めるな!抑圧者どもめ、覚悟しろ!僕はとことんまでやるぞ!おい!やってやるぞお前!かかって来いクズめ!!僕は屈しないぞ!!!