人生にハリがない

怒ってみたい。

僕は怒ったことがありません。小さい頃に癇癪を起したことくらいならありますが、物心ついてからは、覚えている限りは一度もありません。イライラして物に当たることはあっても、激昂して誰かを怒鳴りつけたり、暴力を振るったことは一度もない。いいですか。一度もないんですよ。

 

僕は前々から、怒りを他人にぶつけられる人間が羨ましかった。一方的に、反抗してこない人間に、好き勝手に怒鳴ったり、殴ったり蹴ったりする。暴力行為はこの現代社会において、忌み嫌われる行為の一つです。でもね、今現在でも平然とまかり通っている行為なんですよ。僕は家でも、家の外でも、他人から言葉で体で、暴力を受けてきました。僕を殴る父を見て、僕は心底羨ましかった。人をこんな風に自分の思うがままに苦しめられるのは、それはそれは気持ちの良いことだろうと、僕は殴られ蹴られながらずっと思ってました。

 

そうやって23歳になる今日まで、僕はずっと殴られ怒鳴られ、怒りをぶつけられる側として生きてきました。これからもずっとそういう生活なんでしょうか。いやだな。僕も一度でいいから、怒りに身を任せてみたい。怒りの赴くまま、頭がスッキリするまで、この体が動くまで、暴れてみたいもんです。思いっきりテーブルをひっくり返してみたい。椅子をブン投げてみたい。大声で怒鳴り散らして、叫び続けたい。あたりかまわず物に当たって、壊して、大暴れしたい。法律や、自分の社会的な立場なんか完全に忘れて、全身で怒りを発散させたい。他人に暴力を振るいたい。別に向こうからやられたっていい。それならそれで、とことんまでやり合いたい。勝ち負けなんてどうでもいいから気絶するまで殴り合いたい。血まみれになって、歯が折れて、骨が折れて、それでも体の動く限り殴りたい。そして殴り倒したい。自分の手で、闘争に打ち勝ちたい。そのあと、ブチのめして戦意喪失した相手に、執拗に暴力を振るいたい。どれだけ懇願しても、絶対にやめない。死の危険を感じさせるまでやるし、死の危険を感じさせてもやるし、そのまま死ぬまで殴り続ける。命乞いしても絶対にやめない。殺すまでにはいろんなことをやりたい。眼球を潰したい。眼球を指でほじくり出したい。ほじくって空いた穴に小便をしてやりたい。糞をしてやりたい。鼓膜を破りたい。外耳も中耳も内耳も、ドライバーを突っ込んで貫通させたい。硫酸を注ぎ込んでやりたい。脊髄を損傷させたい。障害を負わせたい。立つことも歩くこともできなくさせてやりたい。腕も足もグシャグシャにして、人としての生活を送れなくさせてやりたい。鋸ヤスリで顔面の肉をベロベロにそぎ落としたい。人間らしい風貌を奪ってやりたい。醜悪な顔面で外に出ることもできず、自分で自由に動くこともできず、ただ他人の助けがないと満足に水を飲むことすら出来ない、ただ心臓を動かして呼吸しているだけの無価値な肉塊にしてやりたい。道具じゃだめだ。拳で、僕自身のこの手でやらなきゃダメなんだ。殺してやる。拳が砕けてもいい。指が潰れてもいい。肉が裂けて、剥がれて、骨だけになってもいい。骨だけになっても殴り続けてやる。頭蓋骨が潰れて、脳みそがグチャグチャになって、人体の原形をとどめなくなっても、それでもやる。拳が無くなったら手首で殴る。手首が無くなったら肘で殴る。肘が無くなったら肩で殴る。肩が無くなったら頭突きだ。頭が潰れても心で、この精神で殴ってやる。たとえこの身が滅んでも、魂がある。魂で殴る。魂で殴り殺してやる。おまえ地獄に行っても安心するなよ。おまえが等活地獄に行こうと黒縄地獄に行こうと衆合地獄に行こうと叫喚地獄に行こうと大叫喚地獄に行こうと焦熱地獄に行こうと大焦熱地獄に行こうと阿鼻地獄に行こうとそこまでついていって殴り殺してやる。地獄でも殴り殺す。鬼だとか閻魔だとかしゃらくせえ。僕の怒りは地獄の責め苦なんかじゃ止まらんぞ。僕の怒りこそが地獄だ。地獄の怒りだ。地獄の炎だ。徹底的にやるぞ逃がさん命乞いしても許さんお前が死ぬまでやるぞ死んでもやってやる見せてやる地獄をおまえ覚悟しろ